アメンボの倉庫

!ご注意!オリ主の登場する二次創作の小説等を置いています。

第1章⑩_ver.男性主人公

第10節

 「魚を分けて下さい。」
ローベルトが言うと、漁港に停まった船の上で網の手入れをしていた漁師は、兄弟には目もくれず黙って船上の一角を指差した。そこには市場で売れない未利用魚が入ったバケツがあった。
「…全部持ってて良いですか?」
ローベルトは尋ねた。そこで漸く、漁師は兄弟の方に怪訝そうな顔を向けた。
 この兄弟が魚を分けてくれと漁師達に頼みに来るのは今日に始まった事ではない。しかし、普段、彼等が持って行く量は、保存用を含めてもバケツ半分にも満たない。猫でも飼い始めたのだろうか?少々興味を持ったが、魔術士の遺児には極力関わりたくない。
「……良いぞ。」
漁師はそれだけ言うと作業に戻った。
「ありがとうございます。」
兄弟は持参したバケツに魚を全部移し替えると深々とお辞儀をして帰って行った。

 「ちょっと、待ちなさいよ!」
港の出口でジェネが2人に絡んで来た。彼女は道のど真ん中に立ち、兄弟の行く手を阻んだ。
 ジェネはボルトの漁師の娘で、ノアベルトと同い年だ。しかし、身長は彼より大きく、3つ上のローベルトとほぼ変わらなかった。
 彼女の父と兄弟の父には、少しばかり因縁もあり、その所為か、ジェネはちょくちょく兄弟にちょっかいを出した。
「あんた達、こないだお寝坊したんですってね!」
ジェネの言うこないだとは10日程前の嵐の翌朝の事を指しているのだろう。寝坊などしていない、ノアベルトは言い返そうとしたが、兄にシャツを引っ張られたので言うのを控えた。
「…。」
「道具屋のおじさんが困ってたわ!あんた達が物を売りに来ないって。まったく、ゴミ拾いくらいしか役に立たないんだからちゃんとやりなさいよ!
 そのお魚だって!」
ジェネは兄弟の持ってるバケツを指差しながら言った。
「あんた達が生きていられるのは、町の人の“ぜんい”のおかげなのよ!お寝坊するなんてかんしゃが足りない“しょうこ”だわ!」
「…以後気をつけまーす。」と、ローベルト。
「いご!?(って何?)」
「ごめんなさい。」ノアベルトも兄に倣って頭を下げた。
まだ自分の知らない言葉が会話に出て来てジェネは戸惑っていた。その隙にローベルトは弟の手を引っ張り、ジェネの横を抜け、そのまま先を急いだ。
「えぇっと、…き、気を付けなさいよねッ!」
後ろからジェネの声が聞こえたが、ローベルトは無視した。
 彼はジェネの事をオウムの仲間と思っていた。あのおませな娘は、町の大人達の会話を聞き齧って繰り返しているに過ぎない。だからこそローベルトはジェネよりもその後ろにいる大人達、謂わばボルトの町自体を憎んでいた。
 魚がいっぱい入ったバケツは、子供2人にはやや重く感じた。あの台車を使えばどんな重い物でも運べるのに…と、ローベルトはいつも不思議に思う。
 それにしても、今日はどうしたのだろう?ローベルトは横目で弟を見つめた。いつもなら「ジェネ、今日も怒ってたね。」などと軽口を叩く弟が黙り込んだままだ。具合でも悪いのだろうか?
「ノア、少し休むか?」
「……平気。…早く家に帰りたい。」
アベルトは俯いたまま兄に言った。

 玄関の方から扉が開く音がした。兄弟が帰ってきたのだろう。
 ミッシェルは読んでいたクラウスのノートから顔を上げた。ノートを閉じ、机にそれを置くと、彼等を出迎える為、玄関へ向かった。
 兄弟は、バケツの持ち手部分を2人で持って立っていた。いつもと少し様子が違う。
「おかえり。」
「ただいま。」と兄は彼に返事をしたが、弟は黙って俯いている。
 ミッシェルには、今この子供の内面で葛藤が行われている事が手に取るように解った。それは彼自身も幼い頃経験したものだったからだ。だから彼は敢えて子供に何も尋ねなかった。ただ、「重かっただろ?」と、2人から荷物を受け取った。

 ノアベルトは夕飯の間もどこかぼんやりして元気がなかった。しかし、
「ねぇ、名前は何て言うの?」
食後、後片付けをしていたローベルトは背後から聞こえた弟のその言葉に驚き、振り向いた。
 旅人はいずれこの家を出て行く。兄弟は心身ともにまだ幼く、生活面のみならず精神面でも親の代わりとなる庇護者を必要としていたが、ローベルトは、この優しい大人が、ある時期から自分達の事を名前ではなく、「お兄さん」と「弟君」と呼び、一線を引いている事に気付いていた。彼の意思は強い。きっと彼にとってとても大切な者達が待っているのだろう。悲しいが自分達は諦めなくてはいけない。弟も同じ気持ちだと思っていたのだが…。
 「どこから来たの?」
暖炉の前の花ござの上で父の遺したノートを読む旅人にまとわりつきながらノアベルトは尋ねた。春と言えど夜は肌寒く、暖炉には火を入れている。
 旅人は言葉に窮しているようだった。
「…おい、よせノア。その人、困ってるだろ?」
 兄の注意にノアベルトは唇を尖らせた。しかし、すぐ無邪気な笑みを浮かべ、父親の服を着ている旅人の膝の上に座り、彼を見上げて言った。
「ねぇ!ここにずっといれば良いよ!3人で一緒に暮らそう!」
幼いスミレ色の瞳が海に沈んだ父親を必死で探していた。
 しかし、旅人の返答は予想通りだった。
「仲間が待っているんだ。ここには長く居られない。…ごめんね。」
大人は弟の頭を優しく撫で、あやすように言った。
「だったら、僕たちも連れてってよ!」
そうだそれが良い!ノアベルトは、にこにこと旅人の顔を見上げながら言った。
「僕たちわがまま言わないよ?お手伝いだってジェネやギムレより出来るし…。おじさんの友達とも仲良くする!」
アベルトの言葉に旅人は辛そうに微笑んだ。
「そうだね。君達はとても良い子だ。だけど、ごめん。それも無理なんだ。…とても危険だからね。」

 ティラスイールにおいて、魔術士の遺児にどのような境遇が待ち受けているか、ミッシェルも解ってはいるが、兄弟の命には変えられない。
 アンビッシュ領内に追撃者がいるとしたら、メナートの貴族やギドナの商人の私兵ではなく、オクトゥムの使徒だ。今や彼等は、教義の復活ではなく、如何に敵対者に対し報復するかにのみその行動原理を見出している。彼等にとって、自分を匿った幼い子供など格好の標的だ。せめてトーマス達と合流出来れば…駄目だ。仮に合流し、エル・フィルディンに2人を無事連れて行けたとしても、根本的な原因を解決しない限り何も変わらない。
 結局、この兄弟を守るには、この2人との関係を誰にも気取られる事なく、的確な時期に自分がこの家を離れる事が最も安全であり、一番確実なのだ。
「だったら何であんな話を聞かせたの?」

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序章・第1章をまとめて読む→
#1 春告の求道者 序章〜第1章_ver.男性主人公 | 春告の求道者_ver.男性主人公 - アメンボ - pixiv