アメンボの倉庫

!ご注意!オリ主の登場する二次創作の小説等を置いています。

第1章⑨_ver.男性主人公

第9節

 早朝、目を覚ましたローベルトはすぐに裏の井戸に水を汲みに行った。脇には、一冊の本を抱えている。弟と旅人はまだそれぞれの寝床で寝息を立てている。見上げた薄紅色の空には、月が残っていた。
 彼は、井戸の (へり) に腰を降ろし、持って来た本を見つめた。――『砂漠の王国』。
 弟は飽きてしまったらしいが、ローベルトはこの物語…と言うより、ここに登場する妹姫を愛していた。普段の彼女は天真爛漫で少し危なっかしい。しかし、時に兄王子を助ける為、己自身を欺いてまで敵を退けるような激しい一面を持つ。少々頭でっかちで優柔不断な兄の手を柔らかく包む、一途で、愛らしい妹。きっと妹が生きていたら彼女のような娘に違いない。ローベルトはこの妹姫に死んだ双子の片割れを投影していた。この本を読んでいる時、彼は妹に会える。それは彼にとってとても大切な儀式だった。
 昨日栞を挟んだページを開く。母が作ったラベンダーの押し花の栞は、かつては良い香りがしたが、既にあの頃の香りは飛んでしまっている。
 本の内容は一語一句暗唱出来る程だったが、それでも彼は1つ1つの文字から妹の姿をパズルのように組み立てていく。

 『2人が、神殿の、祭壇の間以外に入るのは初めてでした。まさか王国の神殿の中にこんな迷路が広がっていたなんて…王子は通路を真っ直ぐ進もうとしました。すると、
「兄さん待って!」と、姫が王子の腕を掴みました。
「今、聞こえたの。人の泣いている声が。あっちの方よ!」
そう言って、左のうす暗い通路を進もうとする姫を王子が引き止めました。
「待て。亡霊がお前をだましているのかもしれない。私が行くからお前はここにいろ。」
しかし、姫は一緒に行くと言って王子の言うことを聞きません。
「兄さん1人を危険な目にあわすなんて出来ないわ!私たちはずっと一緒にいたんですもの。これからもずっとそうよ!」
仕方なく王子は姫も連れて行くことにしました。
「わかった。お前を連れて行く。そして絶対、一緒に城に戻ろう。だから、勝手に先に行ったり、私から離れてはダメだよ。」
 2人はうす暗い通路を歩いて行きました。
 どれだけ歩いたことでしょう。長い長い通路を抜けた先に、大きな扉を見つけました。
 扉にはカギ穴がありました。先程、神官の落としたカギを差し込むとカチッと音がしてその扉は開きました。
 そして、その部屋にいたのは、王子や姫とあまり年の変わらない大勢の子供たちでした。
「君たちは一体…。」
王子の問いかけに1人の少女が前に出て答えました。
「私たちは、あなたたちの王国を守るために、巨魚に捧げられるいけにえです。」――』

 欠伸をしながら旅人が家から出て来た。彼はローベルトに気付くとにこりと笑って挨拶をした。
「おはよう。」
「……。」
「ここで顔を洗っても良い?」

 ここへ来て一週間、ミッシェルはもう普通に歩けるまでに回復していた。しかし、変装の為とは言え、髭を剃らないのはどうにも気持ちが悪い。井戸の冷たい水でさっぱりしたかった。
 顔を洗ったミッシェルに兄弟の兄の方が手拭いを手渡した。
「ありがとう。」
ミッシェルがこの子供に抱く印象は、魔力も心の強さも弟に劣るものの、聞き分けが良く、手がかからないと言うものだった。
 逆に弟は、ミッシェルが危害を加えないどころか自分の遊び相手になってくれる大人だと知るや否や彼にまとわりつくようになった。今や兄に呼ばれない限り彼のそばを離れない。ミッシェルとて怪我人であり、ずっと構ってやれる訳でもなく、ここ数日眠っている事の方が多かったのだが、子供はそれで良かったらしく、この大人の横で、絵を書いたり何やら工作らしきものをしたりして時間を潰していた。
 兄弟の魔力の質は異なっていたが、当初その原因はいくつか考えられたので、ミッシェルはあまり深入りしないようにしていた。しかし、2人の会話や様子を見ている内に逆にその疑念が増した。――彼等の両親はどのような人物だったのだろう?
「またrb:砂漠の王国 > それを読んでいたの?」
「うん。」
「貸して。懐かしいなぁ……あ!」
本を子供から受け取りページをパラパラ捲っていると、挟んでいた栞が風で飛ばされ、そのまま井戸に落ちてしまった。
 その後、しばらく井戸桶を使って栞を探したが、水の底に沈んでしまったらしい。
「ダメだ…すまない。」
「平気。栞はまた作れば良いよ。」
「けど、あれは…」
あの栞が母親の作った物だと言うことをミッシェルは聞かされていた。
「どんなに大切にしてても物はいつか壊れる運命なんだ。井戸に落ちるのも同じだよ。だから良いんだ。」
ミッシェルはこの台詞をこの家に来てから何度も聞かされた。主に、彼が子供達の家事を手伝おうとして皿を割ってしまう時に。彼はかれこれ2桁近く割っていた。
「…箒とちりとりを使わなくて良い分今回はマシだね。」そう言って子供はニヤッと笑った。絵本に出て来る悪役の猫に似ていた。
 ミッシェルも苦笑いを浮かべ、ふと、以前から気になっていた事を尋ねた。
「君たちのお母さんはどんな人だったの?」
「どんなって…優しくてきれいな人。父さんと結婚する前はギドナで人気の踊り子だったらしいよ。」
「(おや?てっきり上流階級の出かと思ったのだが…)」ミッシェルは思った。
「父さんが妖術の研究でギドナにいた時に知り合ったんだ。」
「妖術?」
「古い魔法の事。家ではそう呼んでるんだ。魔法使いって昔は妖術使いって呼ばれてたんでしょ?“おのれ妖術使い”って。ノアと町長さんの家の古い本で見たんだ。」
「ああ、なるほど!昔の魔法使いが使ってた魔法だから妖術なのか!」
ミッシェルはなぞなぞが解けた時の晴れやかな気分になった。そして、子供は面白い発想をすると、そっと思う。

 兄弟の父親クラウス・ゲッペウスは古代魔法について独自の研究をしていたようだ。子供達に言わせると、彼は酒癖が悪かったようだが、家にいる時は子供とビー玉で遊ぶ概ね良い父親だったらしい。彼の蔵書の中には、エル・フィルディンにおいても入手困難な希少本が何点かあり、古代魔法は専門外であったこの大魔導師ですら唸らせる素晴らしいものだった。しかし、何よりミッシェルが興味を持ったのは、彼が遺した十数冊のノートだった。
 そこには、古代魔法に関する考察の他に、古代語の解析法についても書かれていた。彼は、古代魔法の考え方と現行魔法の考え方にはいくつかの違いがあり、それを考慮すると従来の古代語の解析法では不十分であるとし、新たな解析法を提示していた。まだ全てに目を通した訳ではないが、このクラウスの手記が、このまま埋もれてしまうのは惜しい気がした。後世の研究の為にも、内容をまとめるか、然る学者に渡すかして、残したいものだ。しかし、潜伏中の今、荷物は少ないに越した事はないし、自分を匿い治療を施し、変装用の衣服の提供の約束もしてくれた兄弟に、これ以上求めるのも忍びなかった。願わくば、父の遺品が将来この兄弟の役に立つように。そして彼等の手で、この父の研究成果が日の目を浴びる日が来るように――。

 「君達のお父さんが遺した本やノートだけど、君達が大人になった時、要らないようなら、アンビッシュの宮廷魔導士様に渡して欲しいんだ。出来れば約束して欲しい。」
「良いけど…。宮廷魔導士様って、その国で一番すごい魔法使いでしょ?きょう、だっけ?特別な呼び方が与えられる…。そんな人が父さんのノートを貰って喜ぶの?」
「もちろん!お兄さんと弟君のお父さんが遺したものは、魔法使いにとって素晴らしいものなんだよ。」
「そうなの?わかった!約束する!」
子供は嬉しそうに頷いた。きっとこの子供も自分の父が偉い人に褒められるものを遺したと知って嬉しいのだろう。

 この大魔導師が、子供達と過ごした日々の中で、全てのノートに目を通さずとも、一冊のノートの、そのページの存在に気付いていれば、未来はもう少し変わったかもしれない。おそらく彼はそのページのみをそっと破り捨てた事だろう。――しかし、そうはならなかった。

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#1 春告の求道者 序章〜第1章_ver.男性主人公 | 春告の求道者_ver.男性主人公 - アメンボ - pixiv