アメンボの倉庫

!ご注意!オリ主の登場する二次創作の小説等を置いています。

第1章⑧_ver.女性主人公

第8節

 喉が渇いた。
 部屋は薄暗い。既に日が沈んでいるのだろう。
 ミッシェルは枕元に置かれた呼び鈴に手を伸ばしかけたが、止めた。
 この家に来て3日――大分身体の痛みも和らいで来て、寝ている分には殆ど何も感じない。

 子供達は、ミッシェルが大怪我を負い、あの場にいた理由を尋ねなかった。それどころか彼が何者で何と言う名前なのかすら聞かなかった。その代わり自分達の事もミッシェルが質問する以上の事は語らなかった。
「君達、名前は?」
「私はシャルロッテ。あっちで隠れてるのはノアベルト。」
名前を聞くまで弟の方の性別が判らなかった事は内緒である。
「君達のお父さんとお母さんは?」
 姉の口調は港の子供特有のさっぱりしたものだったが、言い方や端々のニュアンスに柔らかさが感じられた。彼女達の両親、特に母親はボルトの外の人間、そして知識階級の出なのかもしれない。部屋の調度品からもそんな事を感じた。
「1年前に死んだわ。
 …何でって?…父さんの作った道具を卸す為に2人でテュエールに行ってたんだけど、帰りの船が沈んじゃったの。だから父さんの使ってた物は遠慮せず何でも使って。服とか、暇ならそこにある本も読んで良いわ。
 …この家を離れる時に父さんの服が欲しい?…良いわよ。1着でも2着でも。誰か使わないと勿体ないもの。
 何かあったらこの呼び鈴を鳴らして。それと、洗濯する物は夜の内にそのカゴの中に入れといてね。」
家は平家で、部屋は、居間以外に、ミッシェルが使わせてもらっている父親の書斎兼作業場兼仮眠室だったこの一部屋しかなく、家族4人暮らしにはやや狭く感じられる程の広さだった。しかし、家の裏に井戸があり、洗濯や水浴びは毎日出来た。

 「(少し、歩いてみよう。)」
ミッシェルはそのまま起き上がり、部屋を出た。
「ホカルが巨魚に噛み付くのはどう?」
「それじゃあこないだと一緒だよ!もっと他のが良い!」
「うーん。」
姉弟は暖炉の前に花ござを敷き、ミッシェルの治療に使う軟膏を作っていた。姉が薬研で薬草を擦り潰し、その横で弟がミツロウを湯煎にかけ溶かしている。
「「あ。」」
ミッシェルが部屋から出て来た事に気付くと、弟は途端に作業を中断し、姉の背中に隠れた。
「……。」
「どうしたの?」今更弟の臆病さを気にも留めない姉はミッシェルに尋ねた。
「水を一杯貰えないかと思って…あ、自分でやるよ。場所を教えて欲しいんだ。」
姉は台所の横にある蓋付きの水瓶を指差した。
 ミッシェルは水瓶に向かい、ゆっくりと歩いて行く。しかし、5歩程歩いたところで、身体に激痛が走り、顔を歪め、小さな呻き声を上げた。やはり少し早かっただろうか?
 その様子を見ていた姉が彼の足元に寄って来た。
「本当に大丈夫?無理しない方が良いわよ。」
「平気…。…もう少し頑張ってみるよ。」
そう答えた彼にそのまま付き添うように姉は一緒に歩いた。
 後もう少しで水瓶だと思った時、水瓶の蓋が持ち上がった。見ると、木製の蓋を両手で持ち、顔の下半分を隠した弟が瓶の前に立っていた。少年の視線はミッシェルを避けるように斜め下を見ている。
「…ありがとう。」
礼を述べるミッシェルに子供は黙って頷いた。

 自分で水を飲む事は出来たものの、3日前から家にいるこの大人は自力で部屋にまでは戻れず、痛みが引くまで一端姉と自分が使っているベッドに休ませる事になった。
 暖炉の真向かいに置かれた姉弟のベッドは、父親の仮眠用とは異なりしっかりとした作りでヘッドボードには草花をあしらった繊細な装飾も彫られていた。父と母がいた頃は4人でこのベッドを使っていたが、ノアベルトは特に狭いとは感じなかった。
 姉と2人で旅人の背中に出来上がった軟膏を塗り、包帯を巻いていると、彼は姉弟に尋ねた。
 「…さっき言ってたホカルって?」
アベルトはハッと顔を上げた。
「兄弟で人間界を旅してる猫妖精の弟よ。お兄ちゃんはニーニって言うの。ニーニとホカル。2人で作ったお話の主人公兄弟なの。」
「猫妖精?」
 ニーニとホカルの説明は姉だけには任せられない。特にホカルの毛色について――姉はサバトラと説明しそうだからだ。ホカルの毛色について姉は何度言っても解らない。違うのだ。あれはサバトラではない!
 無論、少年はサバトラも好きである。これは不変の法則であり、わざわざここに書き記すことでもないのだが――“猫は皆可愛い”。
 ノアベルトもまたこの法則の中で生きていた。ただ、ホカルの毛色となるとあれはサバトラではないのだ!
「見た目は猫なんだけど人間みたいに服を着て2本足で歩くの。ニーニは…」
 いけない、このままではホカルがサバトラにされる!
「ニーニは…ッ!」
気付けばノアベルトの口は開いていた。
 「ニーニは、しっぽの太いキジトラでお腹はオレンジなんだ。赤いマントと帽子を着てる。
 ホカルは薄いグレーで黒い縞々が、頭と、しっぽと、脚にあるんだけど、…サバトラとは違うんだ…。…。」
よかった、ホカルの毛色は守られた。
「クリーム色のお腹でしっぽはふつう。ニーニとおそろいの、緑のマントと帽子を着てるよ。」
「君は、猫が好きなの?」
いきなり口数が多くなった少年に少し驚いた様子だったが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべ、旅人はノアベルトに尋ねた。ノアベルトは頷いた。
「2匹はどうして旅をしてるの?」
「……2匹のお父さんは猫妖精の公爵なんだ。猫妖精の公子は大人になる時、人間界を旅する習わしで…妖精と人間界は陸と海底みたいな関係なんだ。この空の上に見えない水の天井があって、その上に妖精の世界があって…」

 「なるほど…。ニーニの病は呪いだから術をかけた巨魚を倒さない限り治らない。そしてこのままでは兄弟で旅も続けられない…か。」
ミッシェルは顎に手を当て考える。
「…。」子供は不安そうに彼を見守った。
 弟が彼にニーニとホカルの物語を語っている間に、姉は包帯を巻き終え、今は弟の隣で一緒になって彼を見上げている。
 この家には児童向けの本と言える物は砂漠の王国の1冊のみで、子供達はそれを空で言えるくらい読み込んで飽きていた。なので新しい物語を2人で好き勝手作って遊んでいたらしい。
 確かに水の天井も人々を困らせる空を泳ぐ巨魚も元々砂漠の王国に出てくる設定だ。
 今、ニーニは、巨魚の撒き散らした呪いの毒で病に伏していた。ホカルは1匹でこの難局を乗り切らなくてはいけないのだが、打開策はほぼ出尽くしており、ワンパターン化していた。
「…そうだ、彼の力を借りよう!」
 ミッシェルは子供達に深い森に住む、聖獣の話しをした。その聖獣の角から作った万能薬はあらゆる呪いを打ち消した。
「そんな動物、この世界に本当にいるの?」ミッシェルの話を食い入るように聴いていた弟が尋ねた。
「もちろん。(フュエンテの生息数は最近減少しているみたいだから少し心配だけど…。)
 ――ホカルが彼を探し出して少し角を削らせてもらう…と言うのはどうだろう?」
弟は嬉しそうに頷いた。
「うん!すごく良いと思う!…ねぇ、他には?この世界にはどんなものがあるの?」

 ゲッペウス姉弟にとって、世界はボルトだけだった。しかし、今、1人の旅人の出現によってその扉が徐々に開き始めようとしていた。


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序章・第1章をまとめて読む→
#1 春告の求道者 序章〜第1章_ver.女性主人公 | 春告の求道者_ver.女性主人公 - アメンボ - pixiv